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最高裁判所第三小法廷 昭和25年(さ)37号 判決 1953年7月18日

主文

本件非常上告を棄却する。

理由

本件非常上告趣意は、末尾に添えた書面記載のとおりである。

非常上告は、法令の適用の誤りを正し、もって法令の解釈適用の統一を目的とするものであって、個々の事件における事実認定の誤りを是正して被告人を救済することを目的とするものではない。されば、単にその法令適用の前提事実を誤認したため法令違反の結果を来す場合の如きは、法令の解釈適用を統一する目的に役立たないから旧刑訴五一六条(現行刑訴四五四条)にいわゆる「事件ノ審判法令ニ違反シタルコト」に当らないと解するを相当とする。(昭和二五年(さ)第三九号、昭和二六年一月二三日当裁判所第三小法廷判決参照。)本件において、被告人村松仁蔵は昭和二三年六月一五日秋田地方裁判所大館支部により詐欺横領被告事件につき懲役一年に処する旨の判決を言渡され、これを不服として仙台高等裁判所に控訴を申立て、右控訴事件は同裁判所に繁属中同裁判所秋田支部の開庁に伴い同支部に移管された、ところで仙台高等裁判所秋田支部は第一回公判期日を昭和二五年六月一九日午前一〇時と指定し、その旨の通知を郵便により被告人宛に送達し、右郵便は被告人の長男村松吉尾が同居者として受領したのであるが、同公判期日には被告人が出頭しなかったので公判を同年七月一〇日午前一〇時に延期することとなり、前同様の方法により右第二回公判期日の通知も被告人宛送達されたにかかわらずその期日にも被告人は出頭しなかったので、裁判長は同公判において被告人は再度の召喚を受けながら正当の理由なくして出頭しなかったものとして被告人の陳述を聴かないで審理結審し、前同様の方法により同年七月一七日午前一〇時の第三回公判期日の通知も被告人宛送達されたが、被告人は同期日にも出頭しなかったので欠席のまま懲役一年に処する旨の判決が言渡され、仙台高等裁判所秋田支部からは被告人宛に右判決主文を記載した判決通知書が郵送され、これに対し被告人側より上告の申立もなく判決は確定するに至ったこと、記録に徴し明らかである。しかるに本件非常上告は、第二審判決前の昭和二四年五月一五日被告人が既に死亡して居たものと主張し、その事実を前提として、原審が公訴棄却の裁判をしなかったのは法令違反であるというのである。しかしかかる事実については第二審判決言渡前には何等の申出もなく又これを認むべき何等の資料もなく、第二審裁判所は被告人はなお生存するものと前提して判決したものであることは記録上疑ない。そして右原審の前提とした事実を基礎とすれば、原判決には何等法令違反はないのであって、法令違反ありや否やは前提たる事実(被告人が死亡したりや、死亡したりとせばその日時は原判決言渡以前なりや否や)につき当審において新に提出された証拠に基き証拠調をして事実の認定をしなければわからないのである。されば本件は結局前提たる事実について原審の誤認を主張するに帰するものであって、かかる事実の認定非難は非常上告の理由となるものではない。死亡の事実の如きは本件非常上告において提出された様な戸籍謄本の存する以上大体誤りないであろうけれども、被告人が何時生れなりや(少年法規定の手続を為すべきや否やを決する前提事実)の如きに至っては、吾国の現状において出生届記載の日時が真実と異なることは決して稀でないから、戸籍の記載だけで直ちに事実を確認することは許されない。殊に被告人自身の供述によって裁判所が被告人の生年月日を認定した場合そして右供述と戸籍の記載との差が僅少である場合の如き、何れが真実に合するやは相当詳細の証拠調をしなければわからないであろう。なお又本件の如き非常上告が許されるとすれば、個人の証明書又は供述の聴取書の如きものを証拠として被告人の死亡又は出生の日を立証して非常上告を為し得るわけである。(此の場合でも理論は本件の場合と少しも異る処なく、非常上告について再審に関する様な制限は存在しないからである。)更に又何等の証拠をも提出せず、証拠は後に提出すべき旨を以て非常上告を為し得るであろう。そして最高裁判所は事実調を開始しなければならないであろう。そして又右の事実調の結果非常上告を認めればその後に至り更に反対の証拠を提出して右の非常上告を認めた判決に対して再び非常上告を為し得る理である。かくして最高裁判所は際限なく事実調の義務を負わされることになるであろう。非常上告の制度は最高裁判所に右の如き事実調の義務を課し、確定裁判の効力を著しく浮動的のものと為ししかも法令の解釈適用の統一に何等資する処なき場合を考えて居るもとは到底思われない。非常上告は法令の解釈適用を統一することを目的とするものであって、事実の誤認を訂正して個々の事件の救済を目的とするものではないからである。此の事は現行法が上告理由を著しく制限し最高裁判所には殆事実調の義務を負わしめない様にして居ること、しかるに再審と異なり非常上告は常に最高裁判所に提起することとして居ること等に見ても明であろう。(右の如き個々の事件の救済については法は再審の規定を設けて居るのである。その規定で足りないと思うならば再審の規定の改正を企図すべきであって、非常上告をその目的に使用せんとするが如きは筋違いである。)旧刑事訴訟法第四三五条は「裁判所は裁判所の管轄、公訴の受理及訴訟手続に関しては事実の取調をすることが出来る」旨を規定して居るけれども、此規定は上来記載の理由に鑑み広く手続に関係ある限り総ての事実調を最高裁判所がしなければならない趣旨と解すべきものではない。非常上告に関する限り右規定の「手続に関して」は手続そのものを構成する形式的事実、例えば弁論が公開されたか否か、公開されなかったとすれば裁判官全員一致で公序良俗を害する虞ありとして公開すべからざるものと決したか否か等の形式的事実を指すものと解しなければならない。右の規定が存するから右の如き手続そのものについては事実調をするのであって、その結果該手続が法令に違反して居たことがわかればその手続だけを破毀するのである。(右設例の場合裁判官全員で公開すべからざるものと決したか否かの事実は一見公開するか否かの前提たる事実の様であるけれども、裁判官全員で決することそれ自体一つの手続事実に外ならぬ。被告人が何年何月何日生れたりや又は死亡したりやの如きは単に手続の前提たる事実に過ぎないのであって、それ自体手続そのものの構成事実でないこというを俟たない。かかる事実の誤認を前提として非常上告をすることは許されないのである。前提たるに過ぎない事実の誤認のみを前提とする非常上告は許されないものとすること当裁判所の一貫した判例である。第一小法廷の判決に原判決が少年法を適用しなかったことを理由として非常上告を認めた例が一つあるけれども、それは原判決自体に認められた被告人の生年月日によって少年法が適用さるべき事件であるに拘わらず、これを適用しなかった事例であって本件の如き場合とは全く異るものである。)

以上の理由により本件非常上告は採り上げることが出来ない。

よって、刑訴施行法二条、旧刑訴五一九条に従い、裁判官全員一致の意見により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井上 登 裁判官 島 保 裁判官 河村又介)

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